新海誠というフォーマットがあれば売れる



遅ればせながら新海誠監督作品「君の名は。」を観た。
ネタバレは含みませんので、安心してお読みください。


新海誠という監督は、それこそ映画好きやアニメ好きの中ではカルト的人気を誇っていて、それまでの作品を観た人は映画に対してそれなりに深いこだわりや思い入れがあったと思う。
ところが「君の名は。」ではそのカルトの一線をまたいでメジャーの土俵に踏み入った作品となっていた。興行についてはもはや語る必要はないほどに、誰もが知る作品となった。

新海作品は全て見てきた。今までの中で最も「新海らしさ」を感じたのは言わずもがな「秒速5センチメートル」だった。
あの作品のセンチメンタルについても、もう語られてきたと思うけど、「自分の想いが伝わらなかった人の鬱屈さを理解できる人」に対して突き刺さるものだった。
それを一言で言うと「童貞感」と呼び、異性とのコミュニケーションが特に上手ではない人にとっての理想と現実のエンターテイメントとしての映画だった。

それ以降の作品はその童貞感が薄まっていった。
監督自身がそうだったわけではないが、作品としてどこか喪失して今まで感じ取っていた繊細な感情は少しだけ後退していった。
そして、今回の「君の名は。」では完全にリア充となった。

リア充というのは世間のマジョリティであり、メインストリームであり、世間を動かしていく人々そのもので、それは観客そのものだった。
つまり、感情移入や共感を生みやすい、という構図だ。
この構図を作ったのはこれもまた有名な川村元気というプロデューサーで、この人もまたとんでもない人なのですが、それはまた別のお話。

実は新海味はメジャーの舞台で「売れる」ポテンシャルがありながら、ストーリーやターゲットがあまりにコアだったがために、興行的にはそこまで伸びていない。
しかし、そのポテンシャルを引き出せれば確実に「売れる」のだった。





この映画はとても面白かった。
今までのセンチメンタルとは離れているかもしれないけど、それでも良かった。
この映画を観て思ったことは大きく3つあった。

1. 新海フォーマットに則って作るとどんな脚本でも売れる
2. 少年少女の見栄えが良くないとボーイミーツガールにならない
3. 入れ替わり現象のロジックを説明してほしかった


1
この映画の上映から1年経ってから観ることになったわけだけど、幸いにして全くネタバレに触れてこず、正直「少年と少女の心が入れ替わってる話」くらいの情報しか無かった。
だから、ストーリーに関しては驚きが2つも3つもあったものの、ストーリー自体は斬新なほどではなかった。
ただし、そのオーソドックスなストーリーを新海味にすることで「売れる」ことが分かった。
要するに、例えば「僕はどこにでもいる普通の高校生。隣の席には学校一の美少女がいる」みたいなベタな設定だとしても新海味にしたらメジャーに受ける、ということ。
もちろん、今回の脚本が悪いということではないけれど、比較的ベタだったためそうなのだろうな、と感じた。

2
今回のように入れ替わった相手に会ったこともないような設定で思うこと。極端な話、ブスとブサイクなら成立しなかっただろうな、ということ。
相手のことを既に知り合っていて人となりが分かった状態だったらもしかしたらそんなことはないのかもしれない。
いわゆるセカイ系に言えることだけど、いろんな偶然が主人公たちの理想の形に収束した状態じゃないと、ボーイミーツガールにならないのだろう。

3
この映画の中で重要な「入れ替わり」「繋がり」「彗星」というキーワード。
これらがSFのモチーフとして存在しているのだけど、入れ替わりそのものがどうして起こったか、どうして瀧と三葉が入れ替わったのか、どうして彗星が流れたのか。
これらの説明が意図的かどうかは分からないが、どうにも不足していた。
三葉の祖母である一葉は代々伝わる神主の家系で、物語のキーマンでもあるのに、どうして彼女にそのきっかけを作らなかったのか。
ネタバレになってしまうのでハッキリ言えないが、彼女に入れ替わりのきっかけを作ってもらいたかった。
そうすると現象のほぼ全てがクリアになったのになと思った。





とはいえ映像美はもちろん、新海誠の集大成、ベストアルバムのように美味しいところを全部入りで見せてくれるし、新海作品の一作目に観るには十分すぎるし、日本のアニメの質の中ではトップレベル。
ジャパニメーションのベンチマークとしての作品にはなっている。DVDじゃなくBlu-rayで観るべき。
観ない方が損である。個人的には奥寺先輩が好き。





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